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Alcoholics

(19世紀)H.H.ホームズーシカゴのシリアルキラー「殺人ホテル」での解剖、拷問殺戮の大事件とは


HHホームズとして知られたヘンリー・ホワード・ホームズは19世紀において大量殺人犯の1人だった。

シカゴで「世界フェアホテル」(通称:殺人ホテル)ホームズにしか建物内部の構造がわからない迷宮ホテルを建設し、そこに招き入れた人々を拷問、解剖、殺戮を繰り返してし”恐怖の館”で異常な自分の欲求を満たして行った。

 

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出典:www.greelane.com

 

name: ハーマン・ウェブスター・Mudgett

別名:ヘンリーホワードホームズ、HHホームズ、ヘンリーゴートンなど...

生まれ故郷:1861年5月16日ニューハンプシャー州 , Gilmanton

死亡:1896年5月7日ペンシルバニア州フィラデルフィアにて絞首刑により死亡

 

 

♦️ホームズの異常な性格を形成した幼少期時代

ニューハンプシャー州で生まれたヘンリー・ホワード・ホームズはイギリスからの移民の子孫だった。彼の親は敬虔な「メゾジスト」、メゾジストとはキリスト教で規則正しい生活スタイルを重んじる宗派である。

しかし、彼の父は「メゾジスト」でありながら、アルコール依存症で家族に対して日常的な暴力を繰り返していた。

 

またホームズは幼少期に学校でも虐められていた。いじめっ子が、ホームズを病院へ連れて行き病院の骨格模型と対面させられた。

彼は「骨格に恐怖を抱くと同時に、人骨をみて興奮している自分がいた」という。

※父の日常的な暴力に、虐め、自分の人骨に興奮するという異常な性格が後の大量殺戮の要因になったのではないか。

 

高校を卒業後ニューハンプシャー州の近くで働き手に職をつけた。その後バーホント大学に入学するもすぐに嫌気がさし退学した。

その翌年医学部に入り3年間でプログラムを終了し、大学の解剖研究室で働いていたが、

その傍らで研究室から死体を盗み、死体を傷つけて「事故死した遺体だ」と説明し保険金を騙し取って小遣い稼ぎをしていた。

またその頃、ホームズは1878年19歳で、最初の妻となるクララと結婚し息子を授けた。

 

♦️最初の殺人?

クララと結婚していたとき薬局で働いていた。薬局にきた子供にホームズが配合した薬を販売し、子供はその薬を服用した後死亡した。

疑いをかけられたが逮捕はされなかった。しかし彼はすぐに名前をハーマンヘンリーMudgettに改名し、妻と子どもを残しシカゴに逃げた。

 

 

♦️2度、3度目の結婚

1887年にミルタ・ベルナップと結婚しました。しかし婚姻届を出そうとしたが受理されなかった。

1894年1月17日彼が、保険金詐欺で捕まる少し前にコロラド州デンバーでジョージヤ・ナ・ヨークとミルタと離婚せずに結婚した。

 

♠︎悪魔の館「世界フェアホテル」建築

出典:www.greelane.com


 

エリザベス・ホルトンが経営する薬局で働き始める。エリザベスの夫が死去したとき、

ホームズは薬局の買い取るという話をし、エリザベスから薬局を買い取る契約をした。

 

しかし、薬局を買い取って間も無くエリザベスは忽然と姿を消した。

常連客もエリザベスを気にかけていたし、不自然な失踪であったが捜査の対象には至らなかった。

 

それから、薬局の向かいに巨大ホテルの建設を始めた。

1893年シカゴ万博博覧会の来場者向けのホテルをオープンさせた。

建築する際、ホテルの全容を知られないようにするために請負業者も頻繁に変えるほど綿密に行った。また業者を途中で変更したためタダ同然で巨大ホテルを作り上げた。

ホテルにはレンガ壁に通じた51もの隠れた出入り口、100ほどの窓のない部屋にどこにも通じない階段、2つの焼却炉へ通じるダストシュートなど入ったら最後誰にも知られず殺し証拠隠滅までホームズのみが知り得る魔宮が完成した。

 

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♦️そして始まる「殺人ホテル」での殺戮

ホテルで始めに殺されたのは、宝石ショップの店員の女性のジュリアさん。

ジュリアさんとジュリアさんの娘が1891年12月に消え2人の体は見つかる事がなかった。

次にミニーウイリアムズという女優と一緒に暮らし始めて姉も一緒になったが、この姉妹も忽然と姿を消したのである。

 

とある被害者は密室に閉じ込められガスを充満させられ窒息死。その間彼は壁の小さい穴から死んでいく様をじっと観察していた。

また首吊り部屋で絞首刑にされた被害者、巨大な金庫室に閉じ込められ窒息死する人。

 

彼は、様々な方法で殺した人の死んでいった記録を克明にノートにメモを取っていった。

♦️殺戮者ホームズの悪の所業の終わり

彼は、殺戮しながらホテルの投資家や作業員、サプライヤーたちへの詐欺を繰り返していっいた事が仇となり逮捕された。

刑務所でホームズは死体を作りそれが自分だと偽って自分は死んだように見せかけようともした。

1895年7月警察はホテルを捜査した。

そこでは、防音室、秘密の通路に階段や廊下はどこかと方向感覚を失わせるような迷路のような要塞。部屋から遺体をすぐに捨てられるようダストシュートが設置されていた。

 

彼は逮捕され「27人の人を殺した」と供述するも、実際は200人ほど殺したとも言われている。

 

 

1895年10月に裁判が行われ、有罪死刑判決が下った。

1896年5月7日現;フィラデルフィア刑務所にて絞首刑が執行された。

彼は絞首刑のさい、始終穏やかで恐れや不安が一切なかった。そして彼は自分の遺体が泥棒に盗まれ解剖されないように、遺体はセメント詰めにして深さ3Mのところに埋めて欲しいという要望を出した。

 

彼は絞首刑のさい15分ほど痙攣し続け苦しんだようだ。

 

”彼は幼少期クラスメートからの虐め、父親のアルコール依存症が原因の暴力を受けていた。不遇な幼少期があったからといえ大量殺人などあってはならない。

また、医者に慣れるほど知性があったにもかかわらず殺しにこの知性を使った事は、本当に才能がもったいない。

社会や家族、コミュニティが虐めや暴力をする事をやめ、

本人も蛮行を行わないように心がけていく事が大切だとホームズの歴史をみて感じた。”

 

 

・MENTAL FLOSS https://www.mentalfloss.com/article/72642/9-things-you-didnt-know-about-americas-first-serial-killer-hh-holmes

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